college.19.08.28.01ーラカンと無意識(21)
あと一週間頑張らなくちゃいけないが。。頑張ろう
とすると。。カゼリックが欲しくなる。。ダメだな
。。カゼリック飲んで頑張らないで。。クールワン
飲んで。。のんびり行こう。。だな。。
人生を。。生卵。。半熟卵。。ゆで卵。。のように
成長の過程と見ることは構わない。。一つの道を極
めていくこと。。と。。そしてそれはラカンの。。
それぞれ。。言葉と意味のある世界。。言葉はある
が意味のない世界。。言葉も意味もない世界。。と
取ることができる。。フロイトでは。。意識。。超
自我。。無意識の領域。。となる。。
ただ彼ら天才たちは。。一本の紐のように人生を考
えてはいない。。ラカンはそれらを並列的に並べ。。
フロイトは固着と退行が在る。。人生はトラウマを
。。繰り返すと考えている。。大地などなくてもい
い。。道があればよい。。となるのかな。。彼らは
人生を一個の卵に例えるなら。。生の部分。。半熟
の部分。。ゆで卵の部分の混在だ。。と考えている
ようだ。。
道ってなんですか。。
塀の外に在るよ。。
その道ではなくて。。
道を行けば都へ出れるよ。。
禅語にも在る。。道は自分で決めて。。歩いていくも
のだ。。宗教でも。。科学でも。。芸術でもよい。。
ただ。。他者に聞くことではない。。禅語は明快だが
。。それは苦悩の後の言葉。。苦悩の結果と考えるべ
きであって。。苦悩の部分はなくなりはしない。。と
思う。。おれが禅僧を書くとしたら。。暗闇の僧たち
。。闇の中の僧侶。。になってしまうだろう。。