アンニュイな猫と哲学者の散歩

難破した人々のためのフロイト - -Sky is the Limit- - //

school.19.05.30.02ーラカンの海(14)

人は人との係わりの中で生きている。。とか。。優越
感情に浸る。。とか。。社会への貢献。。とか。。は
。。反抗期以降。。16才以降身につく感覚だ。。ラカ
ン的には。。個人的世界から社会的世界へ。。という
ことだか。。アドラーは優越感を感情の基本に置いて
いるから。。16才以降の意味付けから始まることにな
るのか。。
 
実際。。おれは中学の時ステレオを持っていたが。。
クラスに二人しかいないと知っても。。なんの優越感
も感じなかった。。腕時計や自転車や成績に優越感を
感じ始めるのは。。高校生になってからのことだった
。。貧乏とか金持ちとかの差異へ。。その感覚が。。
正常なら。。成長していくのだろう。。人の意味づけ
のきっかけ。。動機。。というアドラーの視点は正確
だ。。
 
これを拡大して。。社会的行動の動機に優越性への目
的がある。。としたのも正しい。。しかし。。病人。。
非社会。。老人。。子供。。にまで拡大してよいかは
。。疑問が残る。。非社会性は。。一時的にであれ。。
優越性の放棄だ。。近親相姦願望への耽溺。。とした
方が自然だ。。子供。。老人でもいいが。。問題行動
を起こすのは。。親の愛の独り占めであって。。これ
は。。親の愛を独り占めしていると言う。。優越性の
問題の裏返し。。かな???。。
 
心の隙間。。虚無を埋めるものは。。優越感情の満足
なのか。。欲望の不足とか。。愛情の不足とか。。の
ような。。自己満足。。自己愛。。のような気がする
。。母の愛の自己確認であって。。他者の目。。承認
。。が必要なのか???。。社会人が悪行を重ねるの
は私腹を肥やすためだと思うが。。子供は何かな。。
老人でもよいが。。悪のヒーローとして。。目立つこ
と。。は大人の。。社会人の。。視点ではないのか。。
 
子供。。病人。。老人が悪さをするのは。。愛情不足
。。と考えるほうが。。周囲への優越感を得るため。。
と考えるより。。はるかに分かりやすい。。アドラー
の難しさは。。こういう所に。。考え方の難しさに。。
あると思う。。終始一貫した論文ではないから。。講
演録とか講義録とかだからと言うが。。言い訳に過ぎ
ないような気がする。。
 
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